死刑はエンターテイメントじゃない

「極刑で」

「苦しみながら死んで欲しい」

「人体実験で役に立ってから死んで」

 

Yahoo!ニュースの記事に書き込めるコメント内容である。

日本人のエゴと恐ろしさが現れているコメント。

日本人は人を許すことができない人種。

 

本当に恐ろしいんです、日本人が。

逮捕された容疑者に対してこのような残酷なことが言えてしまう日本人が。

死刑でいいやん=私は考えることを放棄しました

って自分で言っているようなもの。

 

死刑制度は絶対に反対。

それを認めようとしない賛成派。

自分が正しいと思っているから。

不倫・浮気・修羅場

全く共感できないのが、不倫や浮気の復讐まとめ。

 

まず、男とか女とか関係なく、

浮気や不倫をされて怒り狂うのが理解できない。

そして復讐する気持ち、それをまとめで読んで

スカッとしたという日本人の気持ち。

 

全く理解できない。

復讐なんて考えてる時点でもう陰湿な日本人の性質が現れてる。

 

自分が「村人A」だと気づいたとき、どうするか

演劇の台本などに書かれる「村人A」。

ごくわずかな登場シーン、セリフだけが用意され、

登場人物として名前すらありません。

 

そのような役柄を演じる人は必ずいます。

そして、人生に置いて自分がその「村人A」だと気づいたとき、

何をどうすればいいのでしょうか。

 

主役を演じる人は、何か輝くものがあるからだと思います。

世界を動かす人、一流タレント・スポーツマンとかそういうのではなく、

自然と人が寄ってくる、注目されているような人です。

それはその人が魅力的な何かを持っており、

それは見た目だとかそういう問題ではないんだと思います。

 

社会人になって、「仕事のできる村人A」はどうなるのでしょう。

仕事はある程度できるから、重宝されます。

しかしそれは、あくまで人間的魅力ではなく、

ただの便利な人という認識でしかないでしょうね。

 

困ったことがあれば、あの人に頼めば良いか。

面倒だな、誰かやってくれないかな。

 

その矛先が「村人A」なんですよね。

利用されることと頼りにされることは違いますから。

 

デメリットばかりの「村人A」ですが、

「村人A」は主人公に好かれやすい傾向があります。

 

主人公の友人やライバル、ヒロインや同じく他のモブキャラ。

これらには「村人A」は見向きもされません。

でもたまに、「主人公」には好意を持たれることがあります。

それはきっと主人公にはない、「村人A」の魅力があるからです。

 

「村人A」は決して目立たず地味に生きる。

そして死ぬときは周りに迷惑をかけて盛大に死ぬ。

 

そういう生き方を心がけたいですね。

逮捕された容疑者は匿名報道にするべきだと思う

逮捕された容疑者は匿名報道にするべきだと思う

 

逮捕された容疑者をマスゴミFacebookやら同級生やらから写真を提供してもらおうと

必死になっているのが本当に腹立たしい。

知り合いの写真をマスゴミに提供する人は報復に気をつけるべきかもしれない。

 

なぜ容疑者の段階で名前と顔を晒す必要があるのか。

仮に有罪判決が出たとしても、晒す必要はない。

加害者にだってプライバシーはある。

当人同士の問題であり、第三者がとやかく言う権利はない。

 

そういう発言をすると噛み付いてくる日本人が多いことに恐怖を感じる。

自分の発言がさも正しいかのような反論をしてくるのだ。

死刑賛成派に多いこの現象。

ステレオタイプの生き方しかできず、常識を疑う力が衰えている人種。

 

そもそも法律は憂さ晴らしや、復讐のために存在しているわけではないと思う。

 

死刑の先に何があるのか。

見たくない、これ以上考えたくないと放棄し、

臭いものに蓋をする腐った日本人たち。

 

刑期を終えて出所した人を率先して雇う会社経営者や、

社会復帰を手助けする人たちを心から尊敬する。

そういった人たちにはなぜか光がなかなか当たらないけれども。